58 綿入れ着ても無理だった

58 綿入れ着ても無理だった

 高木の渡辺弥次郎さんが、大正十一年の尋常小学校の高等科二年生のころのお話です。

 貯水池工事の作業がしたくて、現場に行ったのですが、背が低いために、小さい子供と間違えられ、「子供は駄目だよ」と言われ、ことわられてしまいました。

 そこで今度は大きく見せるために、父親の綿入ればん天を着て、頭に手拭いで鉢巻きをし、下駄をはき、腰に手を当て、胸をはって出かけて行ってがんばったのですが、やっぱり駄目でした。高等科を卒業してから、やっと採用してもらえました。

 農家の人達は、農閑期の冬場だけの作業でしたので、ばいき(仕事がもらえず戻されること)の事もありましたが、渡辺さんはよく精勤したので、子供でも優先的に仕事をさせてもらう事ができました。 監督さんも、渡辺さんの顔をよくおぼえていてくれて、列の後ろの方にいても、大きな声で、「渡辺」と呼んでくれて、とてもうれしかったそうです。

 出ずら(出勤表)に印をもらい、日当は一円~一円二十銭位でした。
 仕事につけなかった人の中には、「今日もばいき」と歌いながら、帰って行った人もいました。
(『東大和のよもやまはなし』 p128~129)